三上丈晴さんオカルト雑誌『ムー』の編集長として広く知られ、黒ずくめの服装とサングラス姿がすっかりトレードマークとなっていますが、その裏にはどんな経歴があるのでしょうか。
“あのサングラスの人”としておなじみの三上丈晴さんの、若い頃や素顔がどんな感じなのか気になりますよね。
この記事では、三上丈晴さんの若い頃の情報や、いつからサングラスを着けるようになったのか、さらには『ムー』の編集長になるまでの経緯などをわかりやすく紹介しています。
普段は見ることのできない素顔や、編集者としての努力、そしてオカルトとの関わりなど、多角的な視点で彼の人物像に迫っていきます。読んでいるうちに、三上さんがなぜ今なお多くのファンに支持され続けているのかがきっと見えてくるはずです。
- 三上丈晴さんの若い頃の姿や素顔についての情報
- サングラスをかけ始めた理由や時期に関する背景
- 『ムー』編集長としての経歴と就任のタイミング
- 理系出身であることやオカルトへの独自の関わり方
三上丈晴の若い頃の画像!

三上丈晴さんの若い頃の画像は、インターネット上でも非常に数が限られています。
特に、現在のようにサングラスと黒ずくめの服装でメディア出演している姿が印象的なため、素顔や若い頃の姿に興味を持つ人は少なくありません。
ただし、大学時代や学研入社直後の写真は一般にはほとんど公開されていないのが現状です。唯一、テレビやラジオ、イベントなどでサングラスを外した素顔の映像が確認できる場面がいくつかあります。
以下の画像は、2014年7月28日時点の三上丈晴さんです。

年齢は45歳位のときで、現在とは違い髭の白髪が少ないです。
肌も張りがあり綺麗で若々しく知的な感じですね。
三上丈晴さんは、2005年に5代目編集長に就任されてから20年経っています。
35歳の頃には編集長になられて若い頃から活躍されていたんですね。
三上丈晴はサングラスはいつからしてる?
三上丈晴さんがサングラスをかけ始めた正確な時期は明らかにされていません。
ただ、現在のサングラス姿は「ムーの編集長」としてのキャラクターの一部として定着しています。
本人いわく、サングラスはあくまで“トレードマーク”であり、日常生活では特にかけていないそうです。つまり、テレビやイベント、取材など“公の場”に出るときの演出の一環というわけです。
こうしたスタイルは、オカルトというジャンルの特性を意識しているからこそ。見た目のインパクトや“怪しさ”を演出するために、黒い服とサングラスという装いを選んでいるのだと考えられます。
三上丈晴はいつから『ムー』の編集長?
三上丈晴さんが『ムー』の編集長に就任したのは2005年のことです。
この年から、三上さんは雑誌の“顔”として、読者の前に立つようになりました。
それ以前の彼は、1991年に学研(学習研究社)へ入社し、歴史雑誌『歴史群像』編集部で編集者としてのキャリアをスタートさせています。
編集者としての基礎を学びながら、同年のうちに『ムー』編集部に異動となり、そこから約14年間、編集部員としてオカルト分野に向き合ってきました。
編集長に就任した時点で、『ムー』はすでに創刊から25年以上が経過しており、一定のブランド価値を持つ雑誌でした。しかし、同時に「ネタ切れ」とも言える状態に直面していたことを、三上さん自身が明かしています。
オカルトは一見、無限に話題があるように見えても、限られた信憑性や根拠の上で成り立つため、新しい話題を掘り起こすのは非常に難しい作業なのです。
この課題に対し、三上さんは“再構築”という手法を取りました。既存のテーマに新たな視点を加えたり、異なる書き手にアプローチさせたりすることで、読者に新鮮な印象を与える努力を重ねています。
また、企画段階から「読者が何を感じるか」を重視し、単なる情報の羅列ではなく“読み物”としての完成度を追求するスタイルが、『ムー』の持つ独特な世界観をより魅力的にしています。
もう一つ、三上編集長のユニークな点は、編集長という立場にありながら、自身も積極的にメディアに出演していることです。
メディアに出演で『ムー』の存在感を高めた
テレビ、ラジオ、ネット番組などに登場し、サングラス姿で「ムー的な話題」を語ることで、『ムー』そのものの存在感を高めてきました。
読者との距離をあえて縮めない姿勢が、かえって“謎めいた魅力”となり、現代でもなお多くのファンを惹きつけています。
つまり、三上丈晴さんは2005年の就任以降、単に編集長として誌面をまとめるだけでなく、オカルト文化の最前線に立ち続けてきた稀有な人物です。
過去と現在、そして未来の「謎」に向き合い続けるその姿勢が、『ムー』を長寿雑誌へと導いた最大の要因だといえるでしょう。
三上丈晴の若い頃からの経歴や現在の年齢
【予言】トンガ海底火山噴火と「私が見た世界」の関連は?たつき諒・予知夢を考察【ムー編集長・三上丈晴】 https://t.co/cwaaVb8357 @YouTubeより pic.twitter.com/pbbfQ9a8bi
— 月刊ムー公式 (@mu_gekkan) March 31, 2022
三上丈晴さんは、1968年9月9日生まれで、2025年現在の年齢は56歳です。
青森県弘前市の出身で、東北地方の自然豊かな環境の中で育ちました。
幼い頃から理科や宇宙に強い関心を持っていたと語っており、進学先として選んだのは筑波大学第一学群自然学類。専攻は物理学で、当時は理論物理、特に素粒子理論の研究室に所属していたそうです。
このように理系の学問を志していた三上さんですが、在学中には「ニューサイエンス」への関心を深めていきました。
これは、単なる科学的アプローチでは捉えきれない世界の謎に、多様な視点で向き合うという考え方であり、彼の編集スタイルにも通じる部分があります。
大学卒業後の経歴
大学卒業後の1991年、学研に入社。
最初に配属されたのは歴史雑誌『歴史群像』の編集部でした。
ここでは、史実の検証や資料の収集といった、堅実な編集作業の基礎を身につけました。その後、同年中に『ムー』編集部に異動し、以降はオカルト一筋の編集者として活動を続けています。
オカルトと聞くと、非科学的・怪しいといったイメージを持たれがちですが、三上さんはあくまで「距離感」が大事だと繰り返し語っています。完全に信じるのでも、頭から否定するのでもなく、「分からないことにどう向き合うか」という姿勢が必要なのだと強調しています。
また、2021年には福島市に新設された「国際未確認飛行物体研究所」の所長にも就任。
UFO研究の公式な場でも活躍しており、単なる雑誌編集者の枠を超えて、オカルト界全体の広報的役割も担っていると言えるでしょう。
さらに、三上さんの人物像を語る上で欠かせないのが、トレードマークであるサングラスと黒ずくめの服装です。
このスタイルは、見た目のインパクトだけでなく、「現実と非現実の境界線を演出する」という意味でも効果的です。
メディア出演時には常にこのスタイルを崩さず、編集長というより“キャラクター”としての存在感を放っていますね。
三上丈晴『ムー』の若い頃の画像やサングラスはいつから?などのまとめ
三上丈晴さんは、若い頃から科学とミステリーの世界に興味を持ち、筑波大学で物理学を学んだ後、オカルト雑誌『ムー』の編集者として歩み始めました。
現在はサングラスと黒ずくめのスタイルでおなじみですが、そのスタイルの裏には、読者をワクワクさせる演出力と深い探究心が込められています。
若い頃の素顔や学生時代の姿はあまり知られていませんが、今でも変わらぬ情熱で謎に挑み続ける姿勢は多くの人を魅了しています。これからも、三上さんのさらなる活躍に期待し、応援していきましょう!